加藤先生インタビュー


1. どんな大学生だったか

春夏秋冬の日本アルプスを中心に登山三昧、延べ1年間の世界放浪旅行、哲学・心理学の学外ゼミナール活動、合唱団で地方公演、地方の町工場で住み込みバイト、各種団体への取材/潜入調査等々、活動的なバックパッカー&フィールドワーカーでしたね。


2. 学者になった理由

大学時代には政治思想の藤原保信ゼミナールに所属していました。卒論のテーマはフランスの哲学者アンリ・ベルクソンの研究です。研究者を多く輩出するゼミだったので、当時から学者になることも考えましたが、同時に思想の限界を強く感じていましたね。というのも、日本は当時バブル経済のただ中にあり、金融グローバル化が始まった時代であったことに加え、バックパッカーとして世界中を歩き回っていたから。この広く世間/社会を知りたいという想いから、国際金融専門銀行に就職。しかし外国為替取引の最前線で当初の希望とは異なる現場体験をしたことが自分自身を見直すきっかけになりました。業務が短期的な利益を追求する瞬間瞬間の勝負だったので、長期的に物事を考えたいという自身の特性に気が付いたんですよ。そして、学問の道へと進むことを決意し、銀行を辞めて大学院に進学しました。


3. 比較社会学をテーマに選んだ理由、家族や人口学に興味を持った理由

大学時代には心理学に触れた経験もあって、思想と心理学、国際金融の経験をすべて活かせるのが社会学だったんですよ。当初は社会学理論を学んでいましたが、大学院の指導教授の正岡寛司先生が家族や共同体についての研究者であったことからこの分野での学びを深めていきました。そして、日本の特徴/個性を知るには他の文化・文明との比較が必要であると考えていたところ、明治大学に勤めることとなり「比較社会学」の看板を掲げるに至ります。ちなみに、専門的な研究では、銀行勤め時代の経験から、統計や計量分析を駆使したエビデンスを重要視しているのも大きな特徴ですかね。


4. 比較社会学の面白さ

比較社会学は、過去から現在に至る世界の知的な探検・冒険です。その魅力は、日本を含む世界各地の様々な時代と社会を知的に探検しながら文明世界の成り立ちの謎を解くことにあります。


5. 大学生時代と現在で変化しなかった部分、変化した部分

大学時代の旧友に再会した時、「本当にまっすぐね(初心貫徹)」と言われて、あの時の初心のままだったのかと思いましたね。私的には、銀行でのそれなりのエリートコースを捨てて、リスクを取って大学教授になるという紆余曲折の人生だったけれど、今振り返ると、ひと筋の道を歩んできたようにみえるかな。大学生の頃も初心はあったんだけどぼんやりしていて、言語化できずにいろいろと迷いながらやってきましたけどね。大学教員という立場になってからは、そういった言語化されていない学生たちの初心を見極めることを重視しています。変わったところは、直球と変化球を使い分けれるようになったことですかね。というのも、私は第1印象は柔らかくて、話し方もソフトって言われるけれど、若い頃は物事をはっきり言ってしまうタイプでした。でも、銀行時代の体験もそうですが、経験を積み重ねてからは伝え方がうまくなったかもしれないですね。昔は直球勝負だったのが、状況に合わせてやわらかく伝える変化球も使い分けられるようになったかな。教育にもそういった部分は活かされているのでは。


6. 研究のゴールや人生の最終目標

目標は、縄文時代以降から今日までに至る日本列島の家族と人口再生産、社会構造の歴史を描き上げること。専門である江戸時代の終わりから 21 世紀初頭までの過去150年の家族と人口の再生産についてはあと 3 年ぐらいで決着をつけたいですね。その後は、ライフワークとして、縄文時代以降の大量の資料と先行研究を社会構造史の観点から捉え直していきたいです。家族・イエ・ムラの歴史については、様々な先生の協力のもと、中世の終わり以降は本にまとめたことがあります。ですからそれ以前をやるのが課題ですね。数量的資料は不十分ですが、日本人とは何者なのか、日本人の population とはどういった特性をもつ集団なのかを 1 万年の歴史の視野の中で描き切ることが最終目標ですね。あと、そういった歴史を本にして残したいです。宮大工さんが 1000 年先の大工さんに対して恥ずかしくない仕事をするように、1000 年とまではいかないけれど 50 年は読み直されるような研究を残したい。今の研究はホット・イシューを追いかけるものが多いですが、私の場合は、10 年・20 年・30 年後に折に触れて読み継がれるような研究がしたいですね。